荒波スイマー

毎日の些細な出来事に振り回されるオフィスレディの日常

失敗は死刑

わたしの頭の中で、失敗は本当に許しがたいものという認識が強い。

謝ればいい、とかそういう感覚にはまずならない。

幼少期から些細な失敗も怒鳴られてきたから、失敗は悪。わたしが全部悪いという意識にしかならない。

たとえ他の要素が絡んでいたとしても。

 

人に迷惑をかけることは最大の悪。

自分の知識や努力が足りないことは悪。

 

だってわたしは誰よりも頭が悪く、出来が悪いから。他の人が悪いとか偶然が悪いとか、環境が悪いだなんて絶対に思えない。

 

おこがましい。自分の失敗を許すなんて。

他の人が失敗しても何も思わないけど。

 

自分は、許せない。

二次会は苦手(懺悔)

飲み会は誘われれば基本的には参加する。けれど、二次会はわたしの中で別問題。

個人的には極力参加したくない。とくに金曜日以外は。

 

理由は単純。

早く寝たい派(普段は余裕で22時半就寝)だからだ。眠りが浅いから少しでも長く横になってないと調子が悪くなる。

だから、割とさらっと断ってしまう自分がいる。社交性がないのか。ここは頑張りたくないという気待ちが勝ってしまう。ごめんなさい。

メンバーなんて関係ない。好きなメンバーだろうが嫌いなメンバーだろうが、わたしは早く寝たい。それだけなんだ。一次会楽しかったでしょう?それでいいんだ。

頼むから二次会やるならせめて金曜日にしてくれ。それなら行くから。と思ってしまう。

 

性格悪いな自分。本当にすみません。

備忘録

複雑なことは、誰も覚えられない。

みんなが使うものだから、もっと簡単に理解できる必要がある。

伝えることは簡単に、明瞭に

他の情報と相違がないように。

従うのは上位情報。その上で不利益がない程度の類推解釈、拡大解釈。

 

ていうか、わたしが頭悪いんだから複雑なことを理解するのなんて無理よ。

 

最近感じたことシリーズ

単純作業は苦手

面白いことを考えるのは楽しい

でもプレッシャーに弱い

ノルマという言葉はとても嫌い

何でも気ままに思いのままにやりたい

お付き合いの飲み会は嫌い

気を遣う飲み会はもっと嫌い

気の合う仲間とのんびり飲みたい

理不尽なことは割と許せない

理不尽なことを隠すために理不尽なことで帳尻合わせようとする人嫌い

何でも人任せにする人嫌い

どうしてわたしばっかり、って感じる

自分から動いてみろよと思う

会社は嫌いだ

この会社のために頑張る意義がない

今は自分の未来のライブイベントが気になる

別に今の仕事に興味はない

 

ワガママなことをたくさん言っている

わかっている

でも本音だ、仕方ない

 

気持ちに折り合いをつけて

納得がいかないことがあった。

 

わたしの能力不足で不満に思う部分はあるだろう。わたしだってもどかしい。

でも。あんな言い方しなくたっていいじゃないか。まるでわたしのやる気を削ぐような。能力不足のお前にそこまで期待してない、っていうような。

そりゃ分不相応な目標だったかもしれないけど。でもそうやって高いとこ目指さないとだめだから、って思い故なのに。

そうやって頑張ったところで、素っ頓狂な意見に潰されたりするんだけどさ。

第一、本当なら期待することとかレベル感って伝えられるものじゃないの?そんな話一度も出たことないのに。

 

とにかく今の職場は全く合わない。きらい

わたしという人間 そのに

わたしは小学生から中学生ごろの自分の写真が大嫌いだ。

今よりも太っていたし、髪は癖毛で垢抜けず。今は化粧で誤魔化しているが、そのままの顔は見ていられない。おまけに身長が高く、悪目立ちしてしまっていた。

それでも、多分わたしという人間の意味を見出したくて一生懸命に他人に認められようとしていた気がする。「かわいい女の子」や「愛される女の子」は絶対に叶わない夢みたいなもので、何より誰からも求められていなかった。だから、人より「強いこと」「できること」で意味を見出そうとしていた。

だけれど、残念ながらわたしの頭は平凡以下で、結局何にも勝てないただの間抜けな中学生になってしまった。ちなみに、そんな程度の頭なのに、何か学習が周りより置いていかれることがあると恥ずかしくて泣きたくなる。

そんな中身が嫌という程外見にも現れていて、その頃の写真は最早直視できない。

 

文字通り、内面から滲み出た不細工さが前面に出ているからだ。

 

高校生や大学生になると、手の届く範囲で身なりに気をつけるようになった。しかし内面は大きく変わらない。

 

自分が認められる方法が全くわからなかった。

 

家族関係はあまりいいものではなく、自分の生まれた意味を考えさせられる瞬間もあった。また、人とのコミュニケーションは下手くそで大体自分で関係性を壊していく。

それでも誰かに認めて欲しい。誰かに大切だと言って欲しい。ずっとそんなことを考えて過ごしていた。もちろん上手くいくことはないのだけれど。

 

わたしは、わたしのことが嫌いだった。

 

過去形にしているのは、ある意味希望でもある。もうそんな感情は捨ててしまいたいと思っている。でも上手くいかない。

普段はそこまで思わなくとも、ふとした瞬間、足元が崩れた瞬間にこの感情が止まらなくなる。

 

いつになったら、この束縛から逃れられるのだろうか。

わたしという人間

わたしは本が好きだ。どっぷりと嵌っているときは、ひたすら一人で読んでいたい。

鬱憤は文字にして晴らすのが好きだ。誰の都合を考える必要もないから。

運動は健康維持の最低限でいい。ましてや、誰かと一緒にやるスポーツは好まない。ひとりで黙々と自分が満足するレベルでやりたい。

お酒は好きだ。しかし、一緒に飲む人は選びたい。嫌いな人や心を開こうと思っていない相手と飲むときのお酒はまずくて仕方ない。酔うことなんでできやしない。

友達は少ない。両手もあれば足りる程度。狭く、深い付き合いが出来ればいいので、増やしたいと思ったことがない。

仕事は生きていくための手段。それ以上にもそれ以下にもならない。

表面上の人付き合いが苦手だ。必要性も感じないため、うまくいかない。

 

面倒で、理屈臭い人間と思われても仕方ないが、これがわたしである。

無理をすると自分に返ってくる。だから、同じ無理をするなら、貫き通す無理をしたい。