気付けば、ずっと一緒に
わたしはモノに飽きにくい性格だと思う。特段、普段身に付けるものや持ち歩くもの、食べるものは特に飽きない。
愛用している腕時計もそのひとつで、気付けば10年以上同じものを使っている。元は両親が妹に買ったものだった。だが、妹は時計をつける習慣ができず、わたしが使い始めたのだった。
だから、自分の好みのデザインだったとか、欲しいブランドだったわけではない。ましてやわたしに宛てた贈り物でもない。なんとなく、わたしがつけることになった時計だった。
思いもかけず、色々な瞬間に立ち会うことになった時計でもある。
時計を買おう、と思った瞬間がなかったわけじゃない。その度に色々と調べ回ってはあーでもないこーでもない、と考えるうちにまあいっか、と思う。その繰り返しだ。
もちろんこの10年の中でプレゼントをもらう機会もたまにあったけれど、時計をもらうことはなかった。かくして10年以上の長い付き合いになった。
電池式のこの時計は何度も止まる。何度も電池を入れ替えて、毎日毎日身に付ける。
わたしが時計を買う日が来るとしたら、それはたぶんこの時計が修理できないくらい壊れたときなんだろう。
新しい時計が欲しい、と思う瞬間もあるけれど出来ればこのまま静かに時を刻んで欲しい。
定期的にやりたくなる
ベビーフット。
https://www.amazon.co.jp/dp/B00O0FLGO0/ref=cm_sw_r_cp_api_dJYZybT2N4B4Z
ちなみに個人的にはリンク先の60分タイプがおすすめです。30分タイプよりよく剥ける気がする。
今日はなにも予定がないので、朝からベビーフット!のんびりゲームでもしながら60分を過ごします。
お題で振り返る人生
演奏できるという現在進行形の楽器はもうなくなってしまった。ちょっと悲しい。
◆エレクトーン
小1から大学を卒業するまで細々と。決して上手くはないけれど、何やかんや好きな楽器。最後は持っていた楽器が壊れてしまって、思い入れがあるからこそ捨てられなくて、楽器をリサイクルしてくれる業者に処分をお願いした。
海外に出荷されると聞いたけれど、今もどこかで誰かに使われてくれていたら幸せだなと感じる。
◆トランペット
小5から中3まで。センスがなくエレクトーン以上に上達しなかったなあ。思春期のセンシティブな時期に部活でやっていた楽器で、上達しない自分と向き合えず、何だかもったいない終わり方をしてしまった。辞めてから歯科矯正を始め、歯並びが変わってしまったのでもう音も出ない。楽器だけが押し入れに眠っている。
音楽は好きだし、楽器も好きだし、楽器が繋いでくれた人間関係は今でも大切な関係ばかり。
両方とも上手くはならなかったけど、いい経験だったな、と思う今日この頃。
拗ねる、という感情
拗ねるという感情は、なんとなく子供っぽいものだと感じているけど、よく自分も拗ねてしまう。
自分としては、拗ねている自覚はないのだが、第三者から見たらやっぱり拗ねているのだろう。
そもそも拗ねているってどんな感情なのか。
自分のその時の状況を掘り返すと、自分が望んだものをもらえなかったとか、思い切って誘ってみたら断られたとか、相手にとって自分の優先順位が思いの外低かったとか、そんなときのようだ。要は自分の思い通りにいかなかったとき、なんだろう。
その感情に対する正しい対処方法は正直よくわからない。だからこそ相手にぶつけてしまう時もある。本当に子どもだ。
大人になる、というのは感情に折り合いがつけられることなんだろうか。