荒波スイマー

毎日の些細な出来事に振り回されるオフィスレディの日常

わたしという人間 そのに

わたしは小学生から中学生ごろの自分の写真が大嫌いだ。

今よりも太っていたし、髪は癖毛で垢抜けず。今は化粧で誤魔化しているが、そのままの顔は見ていられない。おまけに身長が高く、悪目立ちしてしまっていた。

それでも、多分わたしという人間の意味を見出したくて一生懸命に他人に認められようとしていた気がする。「かわいい女の子」や「愛される女の子」は絶対に叶わない夢みたいなもので、何より誰からも求められていなかった。だから、人より「強いこと」「できること」で意味を見出そうとしていた。

だけれど、残念ながらわたしの頭は平凡以下で、結局何にも勝てないただの間抜けな中学生になってしまった。ちなみに、そんな程度の頭なのに、何か学習が周りより置いていかれることがあると恥ずかしくて泣きたくなる。

そんな中身が嫌という程外見にも現れていて、その頃の写真は最早直視できない。

 

文字通り、内面から滲み出た不細工さが前面に出ているからだ。

 

高校生や大学生になると、手の届く範囲で身なりに気をつけるようになった。しかし内面は大きく変わらない。

 

自分が認められる方法が全くわからなかった。

 

家族関係はあまりいいものではなく、自分の生まれた意味を考えさせられる瞬間もあった。また、人とのコミュニケーションは下手くそで大体自分で関係性を壊していく。

それでも誰かに認めて欲しい。誰かに大切だと言って欲しい。ずっとそんなことを考えて過ごしていた。もちろん上手くいくことはないのだけれど。

 

わたしは、わたしのことが嫌いだった。

 

過去形にしているのは、ある意味希望でもある。もうそんな感情は捨ててしまいたいと思っている。でも上手くいかない。

普段はそこまで思わなくとも、ふとした瞬間、足元が崩れた瞬間にこの感情が止まらなくなる。

 

いつになったら、この束縛から逃れられるのだろうか。